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玉砂利.com > コラムバックナンバー > vol.3日本庭園の源流

コラム

2014/07/01

vol.3

お庭にまつわるエトセトラ

日本庭園の源流

大沢池


日本庭園の源流の一つは、中国にあります。

中国の皇帝が長命栄寿の仙薬を求め方々を探したものの見つからず、ならば、と
人工の池や島を神仙蓬莱の世界に見立てて作ったのが庭園の始まりと言われています。

それらが遣隋使によって日本にもたらされ、日本の庭園の源流となりました。


もう一つの源流は、日本古来の信仰に拠ります。
日本は古くからアミニズム思想によって 巨石や巨木を信仰する風習がありました。
ですので、中国からの伝来以前にも 神聖な場所に石を配置するなど、
庭園的な場所を作る文化が あったと言われています。


日本古来のアミニズム思想と、中国伝来の庭園文化、それらが合わさり
奈良時代・平城京で日本庭園の原型が出来上がりました。

様式としては、元からあった地形や池沼を利用して苑池を作る、といったものでした。


それから時代は下り、平安時代の摂関政治全盛期には寝殿造庭園が流行しました。
広い池を要した貴族邸宅付随の庭園では、船を浮かべての宴が盛んに行われていました。

 

大沢池2


平安末期に末法思想が広まると、今度は庭園に阿弥陀堂を建てるなどして、
祈りの場を設けるようになりました。

浄土曼荼羅の構図を具体的に庭園構図として用いた浄土式庭園が、この時代から登場します。



この後、室町時代~江戸時代と文化の中心が武士や町人に変わると、
それらの文化的影響を反映した、新しい庭園様式が登場します。


第1回、第2回のコラムでもご紹介したように、
庭園の様式はその時代や社会の影響を色濃く反映してきました。
この庭園が誰によって、どのような時代に作られたものかを前もって調べてから鑑賞することで、
より深く、より楽しくお庭を見て回ることができることでしょう。


次回は近世以降、隆盛を極めた日本庭園についてご紹介します。


≪アクセス≫

◎ 大覚寺嵯峨院苑池
住  所京都府京都市右京区嵯峨大沢町4番地
地  図
交通アクセス

JR 山陰本線(各停亀岡行き)嵯峨嵐山駅下車徒歩16分
市バス28番系統「大覚寺」、京都バス71,80,81番系統「大覚寺」下車すぐ

開園時間 9:00~17:00
ホームページhttp://www.daikakuji.or.jp/

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