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コラムバックナンバー > vol.1枯山水って何?
お庭にまつわるエトセトラ
枯山水って何?
日本庭園で「枯山水」というと、日本史の授業などで「砂利と岩などで、水を表現した庭園の様式」と習った記憶がおありではないでしょうか。
「枯山水」という言葉が庭園の様式を表す言葉として初めて使われたのは、平安時代に書かれた日本最古の庭園書である「作庭記」であると言われています。
枯山水は、室町時代に禅宗の寺院に用いられ発達してきました。「15個ある岩が、どこから見ても14個しか見えない」という京都の龍安寺方丈庭園などが有名ですね。
平安時代の頃、建物の南側を公的、北側を私的な空間として使い分ける中で、南側の庭を「南庭(だんてい)」と呼び白砂を敷き、公の儀式などに使っていました。
鎌倉時代へと移り、武家中心の政権となるとその影響で、貴族邸における様式や儀式は形式化していきます。
南庭では行われていた大々的な儀式の必要性も減った結果、庭の面積や規模も縮小されていきました。
その結果、儀式の場から観賞用へと庭園の目的が変化し「石庭」と呼ばれる様式へと発展していきました。
前述した龍安寺方丈庭園は南庭が石庭となり、「坪」と呼ばれる四方が覆われた平庭が石庭となったのが大徳寺大仙院書院庭園です。こちらも京都の観光名所として、多くの人が訪れる場所です。
大仙院書院庭園は、室町時代を代表する枯山水庭園として有名ですね。
峡谷を勢いよく流れ落ちる滝が、次第になだらかな流れの川となる様子を石と砂だけで表現しています。
ちなみに、大徳寺大仙院7代目の住職・沢庵宗彭和尚は沢庵漬けでもその名を知られています。
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